ビリヤードで思うこと2

 まず、絶対理解して欲しいことが1つある。「自分の番での台上で起きた現象は全て自分のやった結果である。」ということ。ミスキューしたらチョークを塗っていなかった、限界撞点を超えていた。ヨタリによってコースがずれたときは、それを見越して強く撞かなければならなかった事。向かうコースにチョークの欠片が落ちていたのにコースがずれたのは、事前に確認しなかった。など全ては自分の責任。よく撞いたときにイレギュラーな反応をして「え?!なんで?!」とか騒ぐ人を見かけるが、実際よく見てみると、コジっていたり、ナチュラルヒネリがかかっていたり、スキッドしていたり、ゴミがあったり、ラシャが傷ついていたり、さらには湿度によってもラシャ、クッションの反応は変わるなど原因は明確であることが多い。変な言い訳しないように。そういう風に撞いてるんだから。この、自分のしたことは全て自分の責任。言い訳はできない。(っていうか言い訳してると解る人が聞いていると見苦しい)という感覚がビリヤードが好きな理由の一つでもある。時にはブレイクやフロックで運がイタズラするのも楽しい。フロックだろうがなんだろうが、そう撞かなければそうは反応しなかったのだからね。
 賭け事については、否定も肯定もしない。ただ俺は決してしない。なぜならビリヤードをスポーツととらえているから。賭け事にした時点でビリヤードは娯楽やゲームとなる。麻雀も同じ事。賭け事をした時点でただのゲームや娯楽となり、審判(相互でも)をちゃんと付け、ルールやマナーを守り本気でぶつかり合うのがスポーツだと思っているからだ。スポーツは人対人や人対自分の弱い面である。賭け事となれば、対戦ではなく、お金を失いたくない、お金が欲しいといった、欲望だけのものとなり、ビリヤードとしての楽しみは失われる。totoなどの様な形式(麻雀では外ウマといったりするのだが)これは実際競技している人はスポーツをしているので関係はない。競馬での騎手。競輪選手、競艇選手は立派なスポーツマンである。そして遊びとしてのビリヤードは楽しくやればいいだけである。俺は麻雀ではよく使い分けていた。ノーレートの雀荘でランキングトップのスタッフの人たちとやったときは、競技麻雀。スポーツとしての麻雀をし、「打つ」というよりは「刺す」といった感じで、牌を捨て、相手に威圧感をかけていかなければ、負けてしまうという過酷なスポーツであった。過程麻雀はただの遊びであり、みんなで楽しくできるので、打つといった感じや、遊ぶといった感じでいいと思う。賭け麻雀は4人で麻雀をしているようで、実はお金と麻雀しているだけなので、楽である。お金を払えばすむ事でもあるからだ。それぞれビリヤードの楽しみ方があると思う。決して他の遊び方を否定しているわけではない。ただ、スポーツとしてのビリヤードを楽しんでみて欲しい。みんなが息苦しいなかでも頑張って勝利をつかむ瞬間の喜びはどのスポーツにも負けない。